一寸先は三途の川

某鳥アプリでは言い切れない言葉たちの紡ぎ場

「大丈夫」が聞こえなくなった夜に

 

目の前のスマホ画面から机の上にあるコーヒーグラスに目線を移す。

細かい水滴がびっしり付いている様子は数年前の自分を彷彿とさせた。

 

 

 

 

 

底の方に沈んでいた時にSixTONESに出会ったから、出会ってしまったから、何があっても私にとって彼らは「光」だ。

 

 

 

 

 

最初に断っておく。

これは、オタク特有おもしろ沼落ちブログでもないし、かと言ってカッコつけた文学ぶった文章でもない。

強いて言えばエッセイだろうか。

所謂「沼落ちブログ」にカテゴライズされると私は大喜びする。

ひとつ言うと結構暗い。少なくとも楽しくはないだろう。

おもしろはてブロだと思ってた方は申し訳ないが御退出願う。

忙しい人、眠い人は今すぐページを閉じて寝た方が遥かに有意義だ。

休日を持て余した私みたいな人間が片手間で読むぐらいで丁度いい。

 

 

 

 

 

SixTONES沼に自らずぶずぶ浸かった時のことを書こうと思うとどうしても自分の過去を書かざるを得ない。

全く褒められた内容ではないし当時の私は反吐が出るほど嫌な人間なのにそんな人間について書かれている部分がある。

イラッとした瞬間、それがフラストレーションと化す前にこのページから離れて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生以降の私には不定期で何かしらの異常が体に現れるようになった。

 

 

最初は高校2年生。

チャリ通学だった当時の私は、部活終わり下校途中に車に撥ねられた。

痛みという感覚をすっかり忘れてしまった数時間を過ごしたり、その瞬間はスローモーションのように今でも鮮明に覚えていたり、この話題だけで2時間は喋れるがここはこのぐらいにしておく。

ただひとつ、左膝小僧に「※グロ注意」の文字が必要なぐらい醜い一生消えない傷跡が残った。

言わずもがなかなりショックだった。

 

次は高校3年生。

暑さ・寒さの感覚が分からなくなった。秋の体育祭を過ぎても、みんなが制服の上からカーディガンを羽織り出しても、ひとりずっと暑いと思っていた。

制服というのは酷なもので、10月中頃から夏服を着てはいけなくなる。

私の高校はそうだった。

暑さと惨めな気持ちと、でも誰にも言えない自分の体がおかしくなっていく感覚にまたひとり冷や汗をかいていた。

この感覚は1年以上続いた。

 

浪人生。

冴えない私の人生の中で1番ドン底だった。

1日で「いってきます」「はい」「ごちそうさまでした」「すみません」「ただいま」しか話さない日がほとんどだった。

色弱になった。

いつなったとかも覚えていない。

ただ、気づいたら全体的に色の彩度が落ちていた。

彩度の低い世界で生活することは割と楽しかった。

見たくないものは目に入りにくくなる。

一大事だとその時は思わなかったので、というか思ってる暇もなかったので、それなりに全体的にグレーな世界を楽しんでいた。

ただ一つ、お肉が焼けてるのかどうか分からなかったのは困った。

 

 

 

 

 

 

本当はよく分かっていた。

車に撥ねられたのは自分の不注意な部分もある。

自律神経がおかしくなったのは睡眠不足からだ。

まあ色弱については分からない。

 

 

ただ、真正面から事実を見たくなかった。

視界に入れたくなかった。

歪みきった脳みそは、それらを謎の異常現象とすることで自分自身を宥めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学生のころからラジオを聞いていた。

いつしか私にとってラジオは救いになった。

日曜お昼の音楽と緩いお喋りのラジオ、聞き馴染みのある地元のラジオ局の放送、いろいろな番組を聞いていたが、とりわけ深夜ラジオに救われた。

深夜、全てが真っ黒で塗りつぶされる中に聞こえるラジオは、目の前のドス黒い靄を少しライトに変えてくれた、気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SixTONESオールナイトニッポン!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訳がわからなかった。

岡村はどこ行ったんだ。

ああ来週は単発で別番組って言ってたっけ。

ジャニーズ?

何人いるんだ?

面白くなかったらすぐ消すからな。

 

 

 

 

 

 

最後まで聞いた。

なんなら途中でYouTubeも調べた。

当時、いろんな番組にメールを送りまくってたのでリアクションメールも送った。

 

 

 

 

のちに、このラジオが彼らのデビュー発表1週間前だったことを知った。

でも間違いなくSixTONESにハマったきっかけだった。

 

 

 

 

当時、腹の底からつま先頭の先まで真っ黒だった私にとってSixTONESはあまりにも眩しかった。

眩し過ぎて眩暈がした。

でも、どうしても、もう少しその光に近づきたかった。

 

私は基本的に自分を含めた人間への興味関心が薄いと思っていた。

でも、SixTONESを見ていて気づいた。

目を逸らしたかっただけだ。

自分が真っ黒なことに気付きたくないから。

 

 

 

最初の方は、自分が誰かを推すということにかなり戸惑い、認めたくなかった。

それ以前から好きな人たちは居たが、その人たちを応援する感覚とはまた違う覚悟を決めなければいけない気がした。

これは勝負だった。

 

 

 

 

 

 

 

今でも相変わらず、

下手くそな作り笑いみたいな笑顔しかできてない気がする。

自分で自分を踏みつけていないか不安になる。

自分で数少ない大切な人を無意識のうちに踏みつけてないか恐ろしくなる。

まだ自分を好きにはなれていない。

 

 

でも、今の自分も悪くないかなと思えるようになった。

 

 

 

 

私にとって、SixTONESを応援することは覚悟と勝負だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前のコーヒーグラスは、水滴がすっかり乾き溶けきった氷とわずかに残ったコーヒーから成る美味しくなさそうな液体ができていた。

私はそれを飲みきってお店を出た。

 

私も、貴方も、大丈夫。

もちろん、彼らも。

 

 

愛しの推しさん、お誕生日おめでとうございます。

貴方が見る未来に幸多からんことを。

 

 

 

 

なんか私、はてなブログ向いてない気がしない?

 

次回からはもう少しポップに昇華できる話題が書けるだろうし、なんなら私のTwitterは結構ポップだと思っている。